はじめまして。
当ホームページをご覧くださりありがとうございます。
自身の生きづらさ(AC)に向き合いながら、ネガティブマインドから脱出し
2人の子育て、幼い頃の子育ても、思春期の子育ても穏やかにできるようになった
”こころ穏やか 子育て” を応援する 池原ゆうです。
私自身が、心理学、潜在意識をはじめとした様々な学びをもとに人間関係などで自身が本当に生きやすくなり、約20年間、教育現場で様々な子ども達や保護者の方のご相談にも乗らせていただいていた経験があります。
それらの知識や経験と、幸せを感じながら心穏やかに子育てができるようになった心を癒すセラピーの要素を加えた独自のメソッドを提供させていただいています。
親子関係のお悩みや、夫婦関係のお悩み、お子さんの心の問題、人間関係などのお悩みなどを
じっくり丁寧にお聞きし、その原因を丁寧に紐解いていきます。
セッションでは、心理学、潜在意識、NLP、脳科学やセラピーの技法を通じて問題を解決に導くとともに、その方の要望をお聞きしながら、親子で自己肯定感アップ、そして心穏やかに 子育てをしていだだける子育てメソッドをお伝えしています。
素直に甘えることができなかった子ども時代
私は、子どもの頃からまわりの顔色が気になり、
その場の状況や、場面のは雰囲気を敏感に感じ取りながら、
自分の素直な気持ちや感情を抑えてしまう子どもでした。
今は言わない方がいいなと思うと、
素直に気持ちを表現することをやめてしまう・・・。
自分の考えを人に伝えることが苦手、大人に甘えることも下手、
そんな子ども時代を送っていました。
弟ができたと喜んだのもつかの間
寂しい思いばかり
私が2歳の頃、妊娠中だった母はおなかの中にいた赤ちゃんを流産してしまい母の命も少し危険だったために、何か月か入院をしなければならなくなりました。
母の命は助かったけれど、もう赤ちゃんを授かることは難しいだろう…と言われていたために、
母に「赤ちゃんができたよ」といわれたときはもう家族全員が大喜びで、
無事生まれてくれたときは、私も弟の生まれるのが嬉しくて嬉しくてたまらす、本当に心待ちにしていました。
私が5歳の時、弟が生まれます。
楽しみな毎日が始まるとばかり思っていたのに、
実際は違っていました・・・。
どうしても幼い弟の方に手がかかってしまうため、
家族の視線が弟の方ばかりに向けられているように思えてなりませんでした。
抱っこをしてもらったり、それまで毎晩読んでもらっていた本を
読んでもらったりする時間もいつの間にか無くなり、
私は、子ども心にとても寂しく、我慢し悲しい気持ちを感じる日々でした。
母が仕事に復帰、さらに忙しくなっていく
「もう自分でできるでしょ」「早くしなさい」
母が、仕事に復帰するようになると、当然忙しくなって心の余裕もなくなっていきました。
「もう自分でできるでしょ」「早くしなさい」「なんでそうなの!」
「あなたはできるけど、この子はまだ小さいしできないの」というような言葉ばかりで、
自分の気持ちを受け止めてもらえず、我慢することが多くなり、どんどん気持ちのやり場がなくなって、甘えることなどできなくなっていきました。
大人になってからも、ふと幼かったときのことを思い出すことがあります。
一生懸命準備して、お出かけしようとしたのに、
間に合わないからと言っておいて行かれたことがあり、
その記憶が頭から離れず、
ぎゅう~っと胸とおなかの辺りを締め付けられるような気持になる時もありました。
母が、あまり細かいことを気にしない祖母や
父の言動にストレスをためていたことは、
母の表情や出てくる言葉からもよくわかりました。
仕事や外の人間関係に・・・と周りに気を遣う人でしたので、
家ではとても疲れていて忙しそうでした。
小学生の頃、家族みんな忙しそう
気持ちを素直に出せない
小学校での出来事を話そうとしても、聞いてくれる余裕はとてもとてもなさそうで
やっと言えたとしても、自分の気持ちを言っても、聞いてくれない、わかってもらえないことも多くありました・・・。
家族に自分の思ってること表現したって困らせるだけ、
自分自身もどうせ受け止めてもらえないから、ショックは受けたくないし・・・と
次第に、素直な気持ちを表現するようなことはなくなっていきました。
成長していくにつれ、私は自分の考えを思ったまま表現することより
周りに気を遣うことが他の人とうまくいくこつなのだと思うようになっていきました。
そのため、学校では人と衝突することはあまりありませんでしたが、
後で、自分の行動や言動はあれでよかったのか・・・など
くよくよと考えてしまうので、人と接した後にはとても疲れてしまう。
そんな毎日を送っていました。
中学時代 人には頼られるけど
自分には自信がない
私自身は、人からは良く悩みごとを打ち明けられました。
人間関係では相手のことを考えすぎてしまったり、
友達の悩みごとを自分のことのように受け止めて一緒に悩んでしまったり・・・。
その場、その場の空気を読んでしまうのか、いろいろなことを敏感に感じ取ってしまいます。
なんだか重い、しんどい・・・。もっと楽に過ごせたらいいのになぁ・・・。
と思いながらもどうしていいのかわからない。
高校生の頃、私は何のために生きているのだろう?
親子関係も最悪、早く家を出たいと思う日々
・・・私は、何のために生きているのだろう。
いつのころからか、そんな風に考えるようになっていました。
ある時、心理学の本に出会い、これまでの自分がなぜこんなに悩んでいたのか、
しんどかったのかが子どもながらに、少しわかった気がしました。
いろいろなことを干渉してくる両親、
会社では人に気を遣うので大きな役を任されてなかなか家には早く帰って来れない父。会社で疲れているのか、家では自分の思いを通す父と、そんな気遣いのない父にいら立つ母。
私は両親の喧嘩をとめたり、嫁姑関係でも悩む母の愚痴をずっと聞いている毎日でした。
穏やかに過ごしたい、ほっとしたい・・・。
自由になりたい気持ち。でもうまくいかない。
そんな思いで、ぐるぐると考えてばかり。
頑固で自分の考えを押し付け、思うようにいかないと怒鳴る父、
繊細で、細かすぎていつも自分の感覚や気づきを認めてくれない母に対して
思春期の私はいつも反抗的な態度で、すぐに喧嘩になってしまい・・・
親子関係も最悪な状態になっていました。
こんな風に、辛い、分かってもらえていない・・・と思っている子どもたちって多いのかな。
本などで子どもたちを取り囲む周りの環境の大切さについてを知ったことで、
もっと子どもの心の成長や、教育について関心を持つようになっていきました。
先生になりたい、やっと見つかった目標
自信のなさと不安で押しつぶされそうな毎日
子どもってすごい力を持ってこの世に生まれてきている。
世の中に幸せな気持ちで、笑顔で過ごせる子どもたちがたくさん増えてほしい。
昔から年下の子どもたちに頼られることも多く、面倒を見るのが好きだった私は、
いつからか、先生になる道を目指すようになりました。
目指していた第一、二志望の大学には、
スタートも遅く努力が足りなかったせいか不合格。
相当落ち込みました。
しかし、その後に受けた大学には何とか合格することができ、
実家から遠く離れて、始まった学生生活。
家の中が自分にとって居心地が悪かったために、早く一人暮らしがしたい!
ずっとそう思い続けていたため、
大学に進学させてくれた両親に感謝はしつつも、
一方では、家から離れて生活ができることへの解放感でいっぱいでした。
新しい土地での新しい出会い
夢に向かって一歩踏み出したものの……
新しい土地での、新しい出会い。
学生生活が始まるにつれ、新鮮なことも多く楽しい!!と思える経験もたくさんありました。
でも、夢に向かって、一歩踏み出したものの・・・
いつも周りに合わせて頑張ろうとしていたために、
時々とてもつらくなってしまうことがありました。
自分への自信のなさと、未来を想像したときのなんともいえない不安。
自分の中にある、焦りや不安から どうやったら抜け出すことができるのかな。
私がこんな風に思って苦しいのはなぜなんだろう。
心の片隅では、自分の気持ちをあまり受け止めようとしてくれなかった
両親のせいにしているところがありました。
どこかに答えを探そうとするかのように、
私は、心理学の本以外でも、潜在意識、自己啓発など、様々な本を読むようになっていきました。
すると・・・、ある言葉に私はとても衝撃を受けました。
「いつも考えていること、想像していることが現実化する。自分の意識や考えていることを変えていくことで、これからの現実が変わる。」
確か、こんなことが書かれていたと思います。
本当・・・? もし、それが本当だとするなら、
自分自身の考え方を変えていけるように努力してみよう・・・!
これからの人生を変えていけるかもしれない。
潜在意識を活用、考えていることに意識を向けて
変えていくことで周りに変化が
私は、一つ一つ実践できることから取り入れていきました。
少しずつ、少しずつですが、本当に現実が変わり始め、
無理をして人に合わせることもなくなったために人間関係に疲れてしまうことが減り、
人との付き合いが不思議なくらい楽になっていったのです。
そして、自分自身の夢であった教職に就くという夢も叶えることができたのです。
しかし・・・
念願の仕事に…、なぜか疲弊していく自分
運命の出会い、結婚したら仕事を続けられない
初めてのことばかりで本当に大変でしたが、先輩の先生方もいい方たちばかりで、
子どもたちと関われるのも本当に楽しく、忙しいながらも充実した日々を送っていました。
しかし、2年ほど経った頃。
やりがいはあったものの、毎日の忙しさに追われて
次第に心が疲弊していく自分がいました。
帰宅してからも仕事。
週末も部活に、テスト作成や採点。
睡眠を削っては、頑張る日々。
でも、そんな中でも生徒たちの笑顔やちょっとした成長がみられると、
もちろん、やりがいは感じていました。
でも、忙しすぎて休息の時間を取ることができずに体調を崩してしまうこともありました。
ある時、運命の出会いがあり・・・半年が過ぎたころ、結婚することが決まったのです。
私は、悩みました。
今は、自分一人だからできる。から若いからこの仕事をこなせている・・・。
でも、これから先もこんな毎日が続いていくの?
こんな生活じゃ、結婚して子育ての両立していくのは難しいかもしれない…。
幼い頃のことを思い出しました。
祖父母がそばにいてくれたので助かってはいましたが、
自分の両親は、本当に忙しく心に余裕のない状態で、生活でいっぱいいっぱいだったあの頃を。
自分が寂しい思いをしたことをふと思い出し、
1年ほど悩んだ末、仕事を辞めることを決意したのです。
結婚、義理の両親との生活
子どもには寂しい思いはさせたくない
結婚後は、夫の両親と、半二世帯の生活が始まりました。
新しい土地で、学習塾の仕事も始め、
小中学生の学習指導ができるようになったことでまた充実感を感じ始めていました。
時には義理の両親との考え方の違いに悩んだり、夫と喧嘩もすることもありましたが、
これはきっと、どのうちでもあるようなこと…。
長女が生まれて子育てをし始めるようになると、 とても幸せ感を感じられていました。
結婚してから、新しい学習塾の仕事を始めていました。
学習塾の仕事は夜が遅くて毎日は続けられないけれど、
日中は子どもと一緒に過ごせるし、外に遊びにも連れていけるから…と
出産してから半年後には、週2回だけと決めて、
その時間は子どもを義理の母に面倒を見てもらいながら私は仕事を続けていました。
長女が2歳で、下の子を妊娠するのと同じくらいの時に、
夜帰りが遅い私のことを長女が寝ないで待っているようになってしまいました。
子どもに寂しい思いをさせたくないと、思っていた私はまた仕事を辞めることを決意。
子育てと家事に専念する毎日
イライラと不安が止まらない・・・
子育てと、家事に専念する毎日がはじまりました。
夫や義父母の言葉、考え方の違いに戸惑い悩むことも増えてきて、
子どもが2人になって、下の子が動き出すようになるとさらに目が離せなくなり・・・
家事と子育てが忙しくなってくると、
気持ちのコントロールができなくなったりして、イライラが止まらない。
成長していくと子どもは自我を見せ始めます。
日中、一人で子育てしていると、誰にも認められないような気がして、
次第に、心がいっぱいいっぱいになっていきました。
時々、自分の幼かった頃の過去の記憶が思い出され、その度に
辛さとイライラが増していってしまうように感じていました。
なぜかよくわからないけれど、不安も襲ってきます。
私はこのままの状態で子育てしていて大丈夫なのだろうか・・・。
寂しかった子どもの頃が思い出されました。
そのたびに辛くなり、「私の子どもの時のように寂しい思いはさせたくない」
「笑顔のお母さんでいたい」 「穏やかな気持ちで子育てしなくては・・・」と焦り、
いうことを聞いてくれない子どもにまたイライラして子どもを叱ってしまう。
そんな自分に自己嫌悪・・・を繰り返すようになっていきました。
これまで長い間教育関係の仕事についていた私は、数多くの子どもたちと接していたため、
思春期の子どもたちの学習面や、心のケアや成長のことはだいぶ理解していたつもりでした。
でも、幼い時の子どもの成長については、
実際の仕事では関わっていなかったためにわからないことばかり・・・。
以前、人間の愛着形成が幼いころに出来上がるということは学んで知っていたので、
幼児期の子育てで大切なことを意識して学んでいくようにしました。
幼児期は人間の愛着形成にとってとても大切な時期
幼い子どもたちが育っていく上で、子育ての時のかかわりで大切なこと。
食事や栄養のことについてもいろいろ調べ、
できるだけバランス意識した料理を作ろうと頑張りました。
たくさんのことを経験させてあげたいと思い、公園や散歩にもよく出かけました。
学びを自分の子育てで生かすことができるようになると、
子ども達はすくすくと成長していく姿を見せてくれました。
その時の私には、子育てと家事しかなく、
「子育ては、世の中のどんなお仕事よりも尊いお仕事なんですよ。」
「子供への愛情は与えた分だけ、あなたに喜びが返ってくるんですよ。」
という言葉を励みに、子育ても家事もできるだけ楽しもう!
そう思いながら過ごすようにしました。
そして、子どもたちの自己肯定感を高めるために大切なこと
人が一人の人間として成長していく過程で大切なことなど・・・。
学んでは一つ一つ実践していきました。
夫と一緒にいろいろなところに連れて行き、
家では一緒に本を読んだり、お絵描きをしたり、
折り紙や工作なども一緒に楽しみました。
久しぶりの仕事復帰、通信制高校に通う生徒達
自分で考えて自らの意思で進んでいくことの大切さ
上の娘が6歳、下の息子がもうすぐ3歳になる頃、私は通信制高校で務め始めました。
本当に久々に、念願の教育の仕事に出会うことができたのです。
いろいろな生徒たちとの出会い、人間関係や、進路など、様々なことに悩みながらも、
自分の夢を見つけてそれに向かって頑張っている姿。
希望していた学校への進学や、就職が決まっていく・・・。
一人一人違った個性と、魅力。
夢に一歩一歩近づいていく生徒たちの姿を見ることができて、
本当にやりがいを感じる毎日。
自分自身で選んだ道ならば、大変なことがあったって、ちょっと壁にぶつかったって、
乗り越えていける。
中学生の時や、前の学校でいろいろなことに悩み、
不登校などを経験した生徒達も多く通っています。
転学を決意し、新しい学校生活を過ごしていく中で自分自身を見つめ、
自分らしさというものに気づいて、
専門学校や、大学に進学していった生徒も数多くいました。
いじめにあっていたのに、それを乗り越え保育士を目指して進学した生徒。
パニック障害を見事克服して看護師になるために看護学校に進学した生徒もいました。
辛い思いをしている人を助けたいと、心理学を学びカウンセラーになるため大学に進学していく生徒達はこれまで何人も見てきました。
一方で…、自分自身はこんなことをやりたい!と思っているのに、
親御さんの思いが強くて、中々その思いがわかってもらえず悩んでいる子ども達もいました。
卒業をしてから、、、学校に遊びに来てくれることもよくあります。
「一人暮らし頑張っていますよ。 勉強は大変だけど、こんな授業はおもしろくて・・・。
それから最近、こんなことがあって…」と、報告にくる生徒たちは、
みな生き生きとしていました。
そんな成長した彼らの姿を見るたびに、
自分で考えて、自ら選んだ道を自らの意志で進んでいくことの大切さを感じていました。
夫の海外転勤、夫がいない生活の始まり
義母が倒れ半身麻痺に・・・
充実した日々はそれから何年も続きました。
しかし、ある日突然、夫の海外転勤の辞令が出たことを知らされました。
えっ・・・?
打ち明ける夫の声を聴きながら、
私は全身の力が抜けそこに座ってさえいることができないような感覚でした。
長女が中2、長男が小5の時でした。
子どもが小さかったら家族皆で、夫についていったかもしれない。
でも、子どもたちとも相談し進路のことも考えて、
話し合いの結果、夫は一人で単身赴任することを決意しました。
私は、仕事と子育てと家事の両立に一生懸命になることで、
次第に余裕がなくなっていく自分がいました。
これから子どもたちの進学にもお金がかかる。
仕事も任されていることもあるし、仕事を減らすわけにも、辞める訳にもいかない。
そんな日々が続き、1年が過ぎた頃・・・
義母が玄関で倒れているのを、帰宅した私と娘が発見。
救急車で、病院に運ばれ・・・一命はとりとめたものの、
脳出血だったため、半身に麻痺が残ってしまったのです。
仕事、子育て、家事に加え、週3回ほど病院に通う毎日になりました。
寝たきりが1か月続いた後、リハビリを続けたのですが、
なかなか歩くことができるようにはなりませんでした。
私は、日々生活をこなしていくのがやっとで、もう無我無中で目の前のことをこなしていました。
穏やかな気持ちや感情なんてどこかに置いてきた感じがしていました。
ある日、睡眠不足で疲れ果て、朝からぼーっとしていた私は、
娘のお弁当のおにぎりにゴマ塩と間違えて胡椒をかけてしまったこともります。
ハッと気づいてその何とも言えない味のおにぎりを、
後でむなしく悲しく食べるしかありませんでした。
仕事が終わってから病院へ行き、帰宅途中
車の運転をしていて、うとうとしてして電柱にぶつかりそうになって、
ハッと目が覚めたこともあります。
あの時目が覚めなかったらと今、思うとぞっとします。
次第に記憶がなくなっていく義母、問題を起こす義父
看護師さんの言葉に涙が止まらない
「~しなければ」「何時までにはこれをやって・・・帰ったらこれとこれを・・・」
「明日には、あの書類をだして、何日までにはこれをやらなきゃだめだし・・・」
家事は細かいところまでは、もう回っていませんでした。
でも子育てだけは自分の思うように、子どもたちに自分のような思いはしてほしくない。
だから、しっかりとサポートしてやらなければ・・・。
その気持ちは本当に強くありました。
高齢の義父は倒れた義母のことで精神的にも不安定になっており、
病院に行っては先生や看護師さんに迷惑をかけたり、
家では思うようにならないとイライラし物を投げたりするようになってしまっていました。
思春期の子ども達のこと、次第に記憶がなくっていっている義母のこと、
気持ちが不安定で自分の感情や行動をコントロールできない義父のこと。
そして、日本に帰って来ることができない夫・・・。
頑張っても頑張っても、誰に何を褒めてもらう訳でもない、認めてもらえるわけでもない。
病院の看護師さんや、医療ソーシャルワーカーの方に、
「一人で抱えないでくださいね。何かあったらいつでも相談してくださいね。」
といっていただいたことが唯一の救いでした。
優しい言葉をかけていただくだけで、もう涙が止まりませんでした。
夫の方も慣れない土地で忙しく、ストレスもあり、
私のを思いゆっくり聞いてもらうことはなかなかできませんでした。
私は聞いてほしいだけなのに・・・。
悲しさと、怒りが湧いてきて喧嘩になってしまうことも。
泣いてばかりの日々が続きました。
唯一、仕事に向かう時だけは気持ちを切り替えて頑張ることができ、
生徒達との会話できることと、成長が見られることがとても嬉しく、
元気をもらうことができていたように思います。
辛いときは、職場の先輩や、同僚にも話を聞いてもらいました。
私が仕事で忙しい時に頼むと子ども達は、家の手伝いなども助けてくれました。
でも、思春期そして反抗期、人間関係のこと、将来の事など、いろいろなことも考える年頃です。
私の心に余裕のない状態では、
ちょっとしたことでたちまち険悪なムードになって喧嘩が始まってしまう・・・。
そんなこともよくありました。
でも、こんな状況が子どもたちが幼い時でなくて本当に良かった・・・
そう思うことでその時はどうにか過ごせていたのだ思います。
子どもたちが小さい頃に、一緒にいる時間を大切にして、スキンシップも大切にしてきたことで、
きっとこの子たちは何とかなる、と心の奥底では信じることができていたようにも思いました。
大変だったことは本当に数えきれないくらいありましたが、それから1年ほどが過ぎたころ、
希望していた義母の施設の空きが出たとの知らせがあり、
無事に引っ越しを終えることができました。
カウンセリングセラピーとの出会い
自分の心に大きな変化が
義母のことが落ち着き、家族が少しだけ心の余裕を取り戻せた頃・・・
私は、脳科学の考え方を取り入れた心理学、
カウンセリングやセラピーを学ぶことを決意したのです。
それは私自身が、実は何年も漠然とではあるけれど思い続けていたことでした。
そう思った最初のきっかけは・・・
あくまでも最初は、これまで関わっていた生徒たちの中に心の悩みを抱えている生徒たちも多く、
心のことで悩んでいる生徒たちにもう少し寄り添うことで楽になってもらいたい、
そして自分自身で夢を見つけて行動し叶えていってくれたらいいな、という気持ちからでした。
いろいろな困難を乗り越えて、自分の夢を見つけて卒業後に心の傷が重たくのしかかっていて、未来を思い描けない子どもたちがこんなにも多のか・・・といということに胸を痛めてもいました。
辛い状態の子どもたちの心が楽になってくれたら、
支えになれたらいいな・・・。
そしたら、自分らしさと自信も持てるようになるだろうし
その子らしい未来に向かって一歩踏み出せるようになってくれたらいいな・・・。
そんな思いがずっとあったのです。
きっかけはそこからだったのですが、
学んでいくにつれて、私自身に一番大きな気づきがありました。
驚きでした。
学んだワークや、セラピーを自分自身にやってみることで、
自分自身の心が大きく癒されていったのです。
本当に助かったのは自分自身だったかもしれないと思いました。
本当の自分の理想の生き方や心の在り方、
自分軸を見つけるきっかけに
その時に出会った心理学や潜在意識の仕組みを取り入れたワークや心理療法では
自分が気づいていなかった
幼い頃に我慢し続けていた未完了の感情があるということにも気づくことができました。
癒されていなかった感情を開放することで、
これからの未来に一歩踏み出す勇気を与えてくれるようなものでした。
見失いそうになっていた本当の自分の理想の生き方や心の在り方、
こうありたいという自分軸の生き方を見つけるきっかけになったのです。
そして、無意識に持っていて今まで気が付かなかった
自分が幼い頃に感じていたたくさんの思いと、これまでの人生の中で無意識に身に着けていた
「~しなければならない」という信念(思い込み)にも気づいて解放していくことができました。
私は、これまで世の中の常識や、自分自身が身に着けてきた価値観にとらわれて
身動きがとれなくなっていたのです。
本当の自分はどんな風に生きていたいのか、自分にとって大切なものは何なのかを
真剣に考えるようになり、また夢に向かって進もうと決意している自分がいました。
自分の心が解放され軽くなっていくとともに
次々にいいことが起こり始める
過去の自分が癒され、自分の心の声に気づいて寄り添うことで、幼かった頃の自分自身が、心の奥で蓋をしていた寂しさや閉じ込めていた気持ちがだんだんと解放されていく感覚。
心が解放されて軽くなっていくと同時に、心のあり方にも変化が現れて、
自分がどうありたいか、これからどんなふうに生きていきたいかに
焦点を当てることができるようになると、
不思議なことに自分を取り囲む周りにも変化が起こってきました。
4年半も帰国することができなかった夫の後任が決まり、
日本に帰国するめどがたったというのです。
自分自身の心が癒され、自分自身を大切にしていっていいんだと、
自分自身の思いを受け入れることの大切さを実感しました。
ありのままの自分を受け入れることができると、
気づけば、周りの人のことを自然に受け入れることができ、
不思議なことにあんなに精神的に不安定だった義父にも変化がありました。
そして、私は以前より穏やかに子育てをすることができるようになっていきました。
子ども達2人のやりたいことや、気持ちに無理なく寄り添うことができる
自分になっていったのです。
今では、娘は念願の第一志望の国立大学に進学し、
一人暮らしをしながら自分の夢に向かって勉強を続けています。離れていても、たまに連絡を取り合い、講義のことサークル活動の楽しさなど、いろいろなことを話してくれます。
息子の方は高校2年生。
思春期の年頃なのですが、穏やかにコミュニケーションが取れ、時には家族で一緒に出かけたり、必要な時や困ったときなどには相談をしてくれる仲の良い親子関係が築けています。
もっと早く、このことを知っていたなら、子どもたちが幼いころにもあんなに悩むことなく子育てが心穏やかに楽しめていたのでは・・・。
そんな風に思うこともあります。
でも・・・今こうして振り返ってみると、壁にぶつかっては立ち止まり、
一歩一歩学び、自分に取り入れながら、明かりの見える方向に進んできた過程が
今の自分にとって全部必要で大切なことだったのだと思えるようになりました。
一つ一つの悩みに向き合って悩んだことも、今では思い出となり、
無駄なことは何一つなかったと、悩んでいた自分自身のことがいとおしくさえ思えてきています。
私のように遠回りはしないで・・・
穏やかに子育てができる日々へ
子育てで悩み立ち止まってしまうことって、きっとたくさんありますよね。
でも、お母さん自身の気持ちや心の奥底が安心感で包まれ、
心を穏やか保つことができるようになると、
自然に、子育ては心穏やかなものに変わっていくのです。
でも、私はこれに気づくのに本当に長い時間を要しました。
皆さんには、私のように遠回りをしてほしくないのです。
自分自身を大切にしながらお子さんと楽しく心穏やかに過ごせる日々を
送っていただきたいという気持ちでいっぱいです。
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お悩みのご相談の際には、ご家族やお子様の状況、お子様の年齢や性格に合わせた幸せな子育てをしていただくためのアドバイスや、心理学、脳科学、潜在意識を合わせたこころ穏やかに子育てをしていくためのメソッドをお伝えしています。
また、お母さん自身の幼いころの心の傷が 子育てに大きく影響しているような場合には、セラピーで心を癒すことができるよう、セラピーセッションもご用意しております。
少し先の未来に、あんなこともあったよね。こんなこともあったね。と
今よりも、少し成長したお子さんと笑顔で会話できる日々になりますように。
そして、お子さんの本来持っている力と、お子さんの未来を信じて温かい気持ちで応援し、
家族で穏やかに見守れる毎日になりますように。
子育てのお悩みはもちろんのこと、ご両親との関係、夫婦関係、その他人間関係などでお悩みの場合には、心の法則、ストレスのかからない心の距離の取り方、コミュニケーションの取り方等もお伝えしています。
一人ひとり、家族関係や置かれている状況、お子様の年齢も様々ですので、まずは初回相談にてあなたのお悩みを丁寧にヒアリングさせていただきます。
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